また随分とニッチな話になりますが…、時計の歴史のお話でございます。
と言ってもおおまかな時計の歴史全体については色々な時計メーカーや趣味人達によるサイトがたくさんあるので書きませんが、そういったところにすら全く記載されていない様な、「んな人物知らんなぁ…」と、全時計マニアにも言われてしまう様な人をご紹介致します。
その人の名はヤクブ・チェフ(Jakub Čech)
…「誰?」「いや誰?」という声が聞こえてきます。さみしい事にチェコ人って日本であまり知られていないので…ご紹介をさせて頂きます。
彼は「世界最古のゼンマイ時計を製作した職人」ではありません。
「フュージー装置(fusée)を取り入れたゼンマイ駆動式卓上天文時計としては現存中最古と認められている時計を製作した職人」です。※「フュージー装置を発明したヤクブ・チェフ…」とたまに英語でも書かれているものを見つけますが、発明はしておりません。その機構自体はそれより百年も前からあります。
長ったらしいタイトルですが…私はひとまずチェコガイドですのでチェコの事については目ざとくご紹介をさせて頂きます。 ※ゼンマイ駆動式時計自体は1400年頃に既に登場していました。ですが現存しているものがほぼなく…おそらく北イタリアの辺りが発祥とも言われていますが、はっきりとした事は分かっておりません。ちなみに、単純にゼンマイ駆動式時計として現存最古の物は1430年ブルゴーニュ公フィリップ3世のために製作された「ブルゴーニュ時計(Burgundy Clock)」と言われています。
このヤクブという人の誕生年はよく分かっていませんが、15世紀後半のおそらく80年代頃かと思われます。
というのも記録では1497年に師匠である父が亡くなった後、その父の後継者として旧市街地区広場にある天文時計の管理を務めたとあるので多分1480年頃の生まれじゃないかと。(亡くなった年は多分1540年頃)
そのヤクブの師匠であり父というのも有名人で、”ヤン・ルージェ”と呼ばれた人で (”ルージェ”はあだ名)、彼はガイドブックなどには ”天文時計製作者ハヌシュ” として知られている人物です。ですが、ガイドブックに載っている様な「天文時計の秘密を守るためとしてプラハ市議会議員達によってハヌシュは目を潰された」とかいう話は全くありません。あれはただの伝承で、後の時代 (とりわけ宗教戦争時) の複数の人の話などが色々となにやら混ざった結果、やたら強烈な部分が目立って語られているというだけです。
実際の天文時計製作者はミクラーシュ・カダニ(1350-1419)という皇帝カレル4世の時代からその息子ヴァーツラフ4世の時代の王室時計職人、そしてプラハ大学 (現カレル大学) の天文学教授ヤン・シンデルの二人です。なので時代がまったくもって異なります。

毎時からくりが動く時には物凄い人が集まるプラハ旧市街広場の名物、天文時計
そしてこのヤン、ヤクブの親子は錠前師としても働いておりまして、当時の時計職人というのは実は錠前師でした。
ひとまず師匠であり父のヤンは時計職人の腕前をプラハ市議会に認められた後、1410年にミクラーシュとヤン・シンデルが製作した天文時計の改良と管理を任されまして (15世紀を通してチェコ国内では凄惨な宗教戦争が続き天文時計も放ったらかしにされ動かなくなってしまっていました)、1475~1497年に現在の姿の旧市街地区広場の天文時計となりました。その後亡くなった父の後を継ぎ息子のヤクブがその後継者となったという事です。
それでは、ヤクブ・チェフのご紹介を終えたところでその彼が製作したゼンマイ時計のご紹介もいたしましょう。

ヤクブ・チェフ製作1527年
上の写真は現在ドレスデンのツヴィンガー宮殿「数学物理学サロン」という名の博物館で保管されている1527年製のドラム型ぜんまい時計です。アラーム機構が付いているらしいですが…私は機構については見ても全然分かりません。
そして下の時計はロンドンの大英博物館に保管されている1525年製のドラム型ゼンマイ駆動式卓上天文時計です。
この1525年製の時計の由来がなかなか凄くて、ヤクブ・チェフが当時ヨーロッパの超大国だったポーランドの王ジグムント1世とその妃ボナ・スフォルツァのために製作したもので、王妃ボナの出身であるミラノ公国スフォルツァ家の紋章が刻まれています。ヤクブはこれでどれ程の報酬を受け取ったのか…。余談ですが、この当時の超大国ポーランドの王とスフォルツァ家の縁組の舞台裏にはハプスブルク家の皇帝マクシミリアン1世の思惑があり、そして王妃ボナの晩年はまたもやハプスブルク家のスペイン王フェリペ2世に翻弄され最後おそらく土地・遺産相続の争いの末 (借金帳消しのため?) に1557年63歳の時に毒殺されてしまったという、なかなか波乱万丈な面白い話があるんですが、それはまた別の機会があれば。

王妃ボナ(左)。ジグムントとボナ(右)
これはただの時計ではなく「Astronomical table clock (卓上天文時計)」です。黄道十二星座の絵、そして太陽と月の針も見えますね。この大仕事を成し遂げ製作されたヤクブ・チェフの卓上天文時計、どんな動きをするんでしょう…。

ヤクブ・チェフ製作1525年
この時計↑ の紹介記事を見つけたのでご覧になってみてください。
https://www.hodinkee.com/articles/worlds-oldest-clock-with-a-fusee-british-museum

と、いうわけなんですが…、おそらく日本語の記事でよく出てくる現存最古のぜんまい時計というのはニュルンベルクの職人ペーター・ヘンラインの1505年製、麝香林檎時計じゃないかと思います。ですが、これは由来や経緯がはっきりとしておらず、現在個人所有のコレクションで、そのアメリカ人コレクターによる主張では科学的な鑑定も行われたようですが如何せん出どころが怪しくロンドンの蚤の市らしいので…。
「1984年ロンドンの骨董品蚤の市で発見され、その真の価値を知らないコレクターの間で次々と所有者が変わり、2002年に個人コレクターが購入しました。」
と言われていますが、どうなんでしょね。普通ならば博物館入りするようなとんでもないブツのはずですが…そんなにたらい回しにされるほど二十年近く誰も気づかないものですかね。ちなみにヘンラインの経歴としては、やはり彼も十代の若い頃は錠前師の見習いで、1504年に殺人容疑の被告人となって修道院に入り、そこで科学知識を学び翌年の1年後の1505年にはもう麝香林檎時計を製作してしまったようですが、だとしたら…天才すね。ヘンラインは若いうちからかなりの技術力があったという話は有名で記述が残っていますが、実際のところどうなんでしょね。
ひとまずプラハのヤクブ・チェフもニュルンベルクのペーター・ヘンラインもまさに同世代の職人で、もしかしたら同い年でもあるかもしれないので、ヘンラインとヤクブ、二人とも同時期にバンバン凄い時計を製作しています。というよりプラハとニュルンベルクは近いので当時名を馳せた二人は当然お互いの存在は知っているはずなので会っているかもしれません。

蚤の市で発見されたヘンラインの1505年製ゼンマイ時計という、なにやら曰く付きブツ
ちなみにヘンラインが1530年に製作した麝香林檎時計はルター派神学者フィリップ・メランヒトンが所有していたという事で、由来が確実にしっかりとしており、現在はアメリカのウォルターズ美術館に保管されています。
そしてもうひとつペーター・ヘンラインによって製作されたとされる有名な1510年製ドラム型ゼンマイ時計がありますが、あれはフェイクです。
山田五郎さんがYouTubeでその辺を分かりやすく面白くお話をされていますので是非ご覧になられてみてください。五郎さんいわく「ヘンラインは時計の歴史の本には必ず出てくるんだよ。だけど7~8割は間違った事が書いてあるんだよ(笑)~[中略]~日本語のウィキはその他の部分でね謎の間違いが多いんだって(笑)」なんて事もおっしゃっています。その理由についても興味深いお話をされていますよ。
https://youtu.be/Vptz8YUnXDE?si=lK9gj5SIi_CHllT7
そんなわけで、今のところは現存する最古のゼンマイ駆動式卓上天文時計というのはチェコのプラハ旧市街地区広場の天文時計の職人もやっていたヤクブ・チェフのものです!(チェコガイド的には) というお話でございました。私の知らないところでもっと古い現存のフュージーを取り入れたゼンマイ駆動式卓上天文時計があるかもしれませんが…もしあれば教えて下さいませ。
ちなみにヤクブ・チェフのドイツ語表記「Jacob Zech」という名の時計メーカーもございます。日本で知っている人はそうそういないかとは思いますが…時計好きな方はご覧になられてみてくださいませ。
https://www.jacob-zech.com/


コメント